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No.015

続、格言と諺談義

96/11/27
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<ゴキブリのまえおき>
「格言と諺」の話題が未だ続いている。
前回は「格言と諺」から漢字の難しさに脱線したが、どうやら今回は最近の世相に話題が集中しているようである。世相といえばバブル時代の悪事がひっきりなしに露見しているこの頃だが、此処に来て聖域と思っていたら官僚の世界に及んだという。官僚と政治家。またか!

* * * 最近、役人の収賄が次々と発覚しているね。福祉を食い物にするなどは最悪の社会的犯罪だ、許せない。
こうした事件が続発すると日本全体が腐ってしまったのではないかと言う気になってしまうのが怖い。古代中国から権勢の腐敗は役人の汚職に始まっていたようだからね。

優秀な大学をtopで出て、国家を動かす仕事に携わると自分が国家になる。かつては「鉄は国家なり」という経営者がいたが、いまは「官僚は国家なり」だね。人間というものは弱いものだ。組織に入り、その組織の教育を受けて行くうちにそこだけが世界になり、それを守ろうとし、気がつかない間に自分のいる集団だけが、社会だという潜在観念が出来上がる。そういえば新興宗教のマインドコントロールと大差ないということになってしまうね。

困ったもんですね。ほんとうに人間というものは悲しいものだと思います。
権力を得て、物事を思いのままに動かせるようになると自分が法律に成ってしまい、何処までも悪の道に落ちて行く。結局は云われるように人間とは弱くて愚かな存在なんですかね。

そこまで哲学的に考えると人生が儚(はかな)くなるよ。
でも確かに、延々と繰り返すのは権力欲、名誉欲、金銭欲という人間の欲望との葛藤なんだね。

だから格言や諺にはこれを戒めたものが多い。
例えば、「李下に冠を糺さず」という。李下はスモモの木だから、スモモの生っている下で冠の曲がったのを直せばスモモを採ろうとしたと疑われるから、そんな仕草さえしてはいけないよ。という戒めなんだね。

「瓜田に履を納れず」も同じ意味なんですね。瓜田(かでん)に履(くつ)入れただけで瓜を盗もうとしたと疑われる。

ところが昨今は一件がばれてマスコミが騒ぎ、責め立てると「私は貰っていません。やっていません」の一点張り。最高に頭の良い連中なのだから分かっているけど止められない、人間の弱さ、哀れさだね。

「渇しても盗泉の水を飲まず」として、終戦直後のやみ米、やみ食品に手を出さず、餓死した検事がいたそうですね。日本で云えば、さしずめ「武士は喰わねど高楊枝」というところかな。腹が減ってグーグー鳴っているのに、さも満腹そうに楊枝をくわえている。

同じ意味に使われているけど、これは負け惜しみの感じが強い。

結局、どうなるんですかねぇ。

うん、結局は「天網恢々疎にして漏らさず」だろうね。

何ですか、それは?

天の法網は広大で目が粗いようだが、悪人は漏らさずこれを捕縛する。
即ち、天道は厳正で、悪事には早晩必ず悪報がある。----と広辞苑にあるよ。

「国を憂い、人を憂う」人は大勢いるよ。信じることにしよう。

* * * <ゴキブリ雑感> 格言と諺の話が天下国家を憂う話になってしまった。
でも、もともと格言は「深い経験を踏まえて、簡潔に表現した、戒めの言葉」だそうだからこうなるのは当然かも知れない。
でも、インターネットに集まる若い人たちはどう感じるかな?

ごきぶり日記

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