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No.023

大企業今昔話

97/02/04
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今回はゴキブリ自身の言葉でお聞き頂きたい。といっても話はまた聞きのそのまた又聞きで、むしろ伝説に近いお話なのだが、お馴染みの大企業の冷蔵庫の下で聞き集めた話の伝承である。

* * * 一昔前のこの職場は雰囲気が全く違っていたそうだ。おそらく日本が戦後の混乱から立ち直り、新規採用も活発になり始め、ようやっと希望の見え始めたて来た時代のことだろう。云うならば日本の何回目かの青春時代の事と思う。以下、又聞きを見てきた様に話そう。

戦後の混乱期からようやっと抜け出したものの、ついこの間まで仕事らしい仕事もなく、会社に来ては木工旋盤で下駄を作る毎日が続いていた黎明期である。
その頃は、やらなければならない事が山の様にあった。戦争によって、総てにおいて欧米に遅れを取った日本の技術は、欧米に追いつけ、追い越せと立ち上がった時代だから何を為すべきか、等と考えるよりも欧米の進んだ技術、製品を真似し、それより良いものを作ろうとする努力が総てであった。

その頃の技術者は燃えていた。会社に入るなり、「俺はシベリアに通信網を敷くのが夢でこの会社に入ったんだ」とか「全世界にマイクロ通信網を張り巡らせる」とか、当時では夢のまた夢とも思われる話を語る人が多かった。
実際には海外からライセンスを受け、デッドコピーを作ったり、一部未完成だが、殆ど完成品に近いテレビを輸入し、少し手を入れて売りに出すのが実体だったのだが。

技術者は「自分で作る」喜びに燃え、寝食を忘れて開発に没頭する。現場は開発、設計部門に直結しており、設計した物は目の前で出来上がって行く、意見が対立すれば怒鳴り合い、そして悔しくてワーワー大声で泣く。
現場の班長は鬼の様に怖く、若い技術者が設計変更の改造をお願いに行く時は何回も怒鳴られ、馬鹿呼ばわりをされながら必死で説得する。
たまに現場でちょっとそこにあったニッパを使おうと手を伸ばすとベテランの職人に「それは俺の命だ。気安くさわるな!」と胸ぐらを捕まれる。

酒を飲むのは会社のそばのカストリ屋台か、鰻の頭だけの焼酎屋が最高であった。勿論、その頃の人も夫れぞれ出世を夢見ていた。だが、上司の顔色を伺い、出世の為に浮き身をやつすには余りにも目前の攻撃目標が大きかった事は確かである。

何で我が輩はこんな聞き伝えの昔話をしているのだろう。そうそう、この話と今の観察が余りにもかけ離れている様に思えるのでこんな話になったのだっけ。

そもそも大企業と云うものは、占領政策によって息絶えたかに見えた戦前の財閥がかろうじて蘇生し、その原型のままに新生日本を立て直す役割を負ってきたもので、全くの新生物では無い。夫れが戦後の日本を再建する原動力になってきたことも確かである。
終身雇用制と年功序列と企業に対する忠誠心を基盤として、戦後復興のために猛烈型企業戦士が此処に誕生するわけである。
然し、夢は壮大であり、この目標に向かって皆が燃えていた。こうした時代には日本的経営は打ってつけであり、瞬く間に日本は先進国の仲間入りをする。

一時は欧米でも日本的経営を見習え、と云う風潮も盛んになった。だが、バブル以後は一転して個人の能力と独創的な発想が無ければこれからは生きられないと云う。何たる事だ!終身雇用と企業に対する忠誠心を拠り所に発展をして来た社会が、突如として終身雇用制、年功序列は終わった、これからは専門の能力と独創性がなければ生きられない、と説くのだ。
日本人は日本の歴史的土壌の上で生きてきた。今、個人は企業に対する忠誠心よりも個人の能力、独創性の方が重要だと云われても、そんな教育は受けていない。大方の日本人は自由な創造力が最も苦手なのだ。

その代表が大企業の幹部だろう。出世の為に窮々とし、夢を失い、物作りは下請けに任せ、大いなるサラリーマンとなっている。寄らば大樹の発想は益々強く、古城に籠城する紀元前の戦士の様だ。

また聞きの語りでゴキブリが悲憤慷慨することはないと言われれば、それまでだが、最近は新聞などで日本没落論が多すぎる。何とかしなければと思うのは当然である。

ごきぶり日記

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