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No.028

格言と諺談義(その3)

97/03/12
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<ゴキブリの前置き>
dさんと後輩の「格言と諺」の話は三回目になった。今回の話題は間違った使い方のようだ。
うっかり間違って使っている場合とそう思いこんで信じている場合と意味もなく話している場合など、いろいろあるようだ。
言葉は恐ろしい。

* * * 我々が毎日使っている言葉や会話の中には、自分でも気がつかない間に格言や諺が多く含んでいる。それだから会話が楽しくなるという面が多いね。
でも、また間違いも多い事は確かだ。

例えば、「あなたを他山の石としてこれからも努力します」といったとする。
この「他山の石」というのは、いつも何の気なしに使っているね。
この言葉の原義は「よその山から来た粗末な石」だそうだ。だからそのまま云うならば「あなたは粗末な石だけれど私自身を磨くには良い道具だ」といっていることになる。知らぬとはいえ恐ろしい言葉を使っているもんだね。

これは驚いた。私も他山の石として見習いますという言葉を使いますよ。
こんなことが他にもないでしょうね?

「役不足」などもその一つだろうね。「そんな仕事は私には役不足ですよ」と云ったとする。本人は「大役過ぎて私の手に負えませんよ」と謙遜したつもりだろうが、「その仕事は私の能力の大きさからしたら軽すぎてつまらない」といっていることになる。

おやおや、年中間違った表現をしているんじゃないかって気になってきましたよ。まだありますか?

いまどきこんなことを云う人は居ないかも知れないが、決意表明か何かで「私は寸暇を惜しまず会社のために働きます」といったとするね。
「----まず----」は否定形だから「寸暇を惜しむなんてことはしないで働く」ということになる。正しくは「----寸暇を惜しんで----」なのだね。
全く、落語の落ちみたいな話になる。

「お手並み拝見」と云う言葉もよく使いますが、これなんかあんまり良い言葉ではないことは分かっているのですが、でも間違った使い方をしている人がいます。

そうなんだ。「出来るかい?出来るはずないよ、出来ると思うならやってみな」というニュアンスがあるから、危険な言葉だよね。ところが、「お手並みを拝見します」とかいって褒め言葉と思って使っている例に、たまに出くわすことがある。ギクッとするんだが本人は分かっていないから平気なもんだ。

もう一つ、「情けは人の為ならず」という、ごく普通に使っている言葉だが、情けを掛けるのは人の為ばかりではない、自分のためにも---という意味で使っている場合を見掛ける。「----ならず」はやはり否定形だから「情けを掛けるのは人の為にならない、だから断る」が正解なのだがねぇ。

難しいもんですね。いまの若い人に取って言葉は単なる符丁なのでしょうからこれから益々混乱すると思いますよ。

* * * <ゴキブリ独白>
日本語は日本の文化そのものだから、何とか守って行きたいと考えている人は多い。だが、まさに今の若者にとって言葉は単に同世代の意志疎通の符丁なのだから、こんなことに関心はないとか。
日本の文化はどうなることやら。

ごきぶり日記

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