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No.056

忍び寄る秋

97/10/17
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何とはなしに秋が忍び寄って来る。我が家は東京の片隅、多摩川べりの、40年住み続けても一向に開けそうもない、東京の田舎にある。
その二階の書斎の窓には隣家の広い庭が広がっている。心なしか鬱蒼とした木々が静かに秋を待っているように見える。

その庭の片隅の古びた木の椅子に老女が座っている。この家のおばあちゃんである。全く動くことなく、長い時間静かに庭を眺めている。
もう103歳になるはずだ。普段はしっかりした足どりで、ゆっくりと近くを散歩して過ごす。家族は誰も全く相手にしている様子が無い。

家内の母も元気で逞しい寡婦だった。91歳を過ぎた頃、一人で留守居の昼寝の夢を突然の電話に叩き起こされ、あわてたためか廊下で滑って転び、骨折してしまった。それから七年間、寝たきりのまま亡くなった。息子である義兄夫妻の献身的看病は、それは大変なことであったが、娘たちの心情には既に母に対する感傷は無いようであった。

人間は生き過ぎると生きながら物体になるらしい。そこにはもう人間の尊厳は無い。誰が悪いわけではない。やや痴呆が進み反応のない、ときには何をするか分からない“物体”はすでに人間ではなく、ましてや母ではないようだ。
この人も昔は魚屋の奥さんであり、早くして旦那を亡くしてから女手で一つで子供たちを育て上げた気丈な女性だったそうである。

人間の尊厳を語るには秋は相応しくない。だが、おばあちゃんを見ていると秋を感じる。秋とおばあちゃんの組み合わせかも知れない。
70歳になる息子が、大きな声でおばあちゃんを叱る声がする。叱ることによって元気づけているのかと思わせる。幸せなおばあちゃんであり、これが普通の人間のごく自然な生き方なのだろう。

紅葉前線はどの辺まで来たのだろうか。秋はいろいろなことを考えさせる。

ごきぶり日記

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