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No.062

団塊の世代

97/11/20
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団塊の世代-堺屋太一の同名の小説から生まれた言葉で、昭和22年から数年間のベビーブーム世代であることは知られている。

その先陣はすでに50歳になる。昭和22年と云えばまだ終戦から2年、まだ復興の途上にあり世の中は混沌としていた。だが、この世代が物心つく頃は世相も安定し、経済も欧米に追いつけ追い越せの熱気に溢れた時代に差し掛かって来る。その後、日本は目覚ましい経済発展を遂げる。
この課程は日本の繁栄期であると同時に経済至上主義が日本人の心を変えて行く時代でもあった。

従って団塊の世代は日本の上り坂に生まれ、バブルの絶頂まで青年期、壮年期を過ごす。何処へ行っても椅子取りゲームのように同世代が溢れる中、平等主義を植え付けられ、何不自由なく初老を迎える。
この世代を「ふわふわしている」「達成感を持てない」「マイホームパパ」「さりとて家庭を捨てる勇気も無い」「優しさと優柔不断の区別が付かない」などと手厳しく論評しているのを見かける。

最近、大企業はその体質が気がつかないうちに大きく変化しているようだ。
事業の拡大とともに、もう名前も覚えられないように分社化が進む。
本体とその衛星会社の周りには系列、協力という名の会社がぶら下がる。勿論、これが悪いというわけではないが、それぞれの役割分担が明確でないものが多く、似たようなことをみんながやっている。また、一つのものを分け合ってやっている。ワーキングシェアという言葉は、不況時は仕事を分け合って生きようという発想だが、この場合は仕事がないから分け合っているわけではない。

それぞれの会社が、自力で事業をやり経営を成り立たせているわけではない。
本体の規制の元に仕事を受け固定費の面倒を見て貰う。要するに「みんな下請け会社」の様相を呈している。
こんなことを云うと叱られそうだが、勿論、これが全体像では無く、分社が自社製品を持ち自力経営で立派な経営をやっているところも多いことは知っている。だが大勢はファミリーとして寄り固まっていることも、また確かである。

こんな形が出来ると、ある一つのプロジェクトについても全体を引きずって行く強力なリーダーが必要になるが、此処には団塊の世代の弱点が待っている。
平等主義に培われたこの世代には自己の強い信念、行動、命を懸けてやり抜く実行力は苦手なのだ。上の顔色を見て「何とはなしにみんなでやる」のが育った環境だから、期待する方が無理かも知れない。結局、要のとれた扇のようにバラバラになる。こんなことが現実にあれば、求心力が無いだけにその仕事の完成は危うく、非効率は大きな損失を招くだろう。

大企業の管理職がサラリーマン化しているということはよく聞くところだが、これが会社の中核を担う団塊の世代のゆえであるなら問題の根幹は深刻である。
次世代は、この「団塊の世代」の背中を見て育つ。早いところ手を打たないと日本のベンチャーがアメリカ流に育ち、大企業のビジネスの核心を押さえられるかも知れない。
その時は彼らを配下に置こうとしても云うことを聞かないだろうから。

ごきぶり日記

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