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No.069

仙台(1)

98/01/01
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旧い城下町の中堅都市は、素晴らしいところが多いと、多くの人が口を揃える。仙台もその一つである。

伊達政宗公が青葉城を造ったのが、1601年(慶長6年)。これが仙台の発祥という。この仙台も初期には「千代」と書いたそうである。
仙台市は新幹線で東西に分断されている。西側は第二次世界大戦の末期、大空襲を受け、完全に消失したが、東側は昔のままで、旧い面影をそのままに残している。このため、西から北に向かって碁盤の目のように道路が整備され現在は北へ北へと発展している。

街はまさに綺麗な箱庭である。
青葉通りの鬱蒼とした街路樹のトンネルを通ると、いま問題の二酸化炭素などは、全部飲み込んで呉れるようにすがすがしい気分になる。
繁華街は仙台駅から北西へ2キロメートル程度であり歩いても苦にならない。
この範囲に有名デパートあり、若者のショッピング街あり、また商店街の豪華なアーケード通りがあちこちに点在する。

この中に有名な国分町がある。有名料理屋、割烹、スナックが軒を連ねる。
中には一つのビルに100軒近いスナックが詰まっており、その看板を見上げるだけでも壮観である。狭い歩道にはいつも若者達が溢れている。
よく仙台は支店長の街と言われる。バブル時代は名の知れた割烹は夕暮れになると、それらしき紳士と豪華に着飾ったママとのカップルで溢れていた。

余談になるが、ある時、家内にせがまれて「銀たなべ」という名の知れた割烹に出掛けた。カウンターは豪華な着物の女性を伴った同伴カップルで既に満席に近い。はも、ふぐなどの刺身を頼むと、家内はその一つ一つに「これ幾ら?高いんでしょう」と当たり構わず話しかける。板前が笑っている。
普通の生活をしている主婦に取って、直ぐに値段が気になるのは当然で、いつもなら何ということも無いのだが、支店長同伴のカップルの前では、いかにも場違いである。仕方無く板さんに「すみませんねぇ。場違いなのを連れてきて」と云わなくても良いことを云って、言い訳をしたのを思い出す。

バブル崩壊以後、その店の雰囲気も客筋もガラッと変わって、若いアベックが多いのに驚いた。此処にもバブル崩壊の痕跡がある。

-続く-

ごきぶり日記

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