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No.089

日本はどこへ

98/03/26
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いろいろな事件が起こる。そのたびにマスコミがこぞって騒ぎ立て分析し、評論家はもっともらしい論拠をまくし立てる。環境が益々悪くなる人類最悪の科学物質、ダイオキシンが人間を襲う。子供も大人も重苦しい、逃げ場の無い社会環境に責め立てられている。人間が人間らしく生きる社会環境を求めて数々の生き方が紹介されるが、何のことはない自然への帰趨願望がすべての結論となる。

人間がおかしくなっている。いや人間がおかしくなる訳がない。
人間の住む環境、人間の作る社会が変質しているに過ぎない。世の中は狂い出すと止まることを知らずにあらぬ方向に進む。そんなことがあってたまるかと世の中がよくなることを信じて行動する人も居るから何とかバランスがとれて今のところ収まっているのだろう。

やれ政治が、社会が悪い、やれ親が、教師がと論評するのは勝手だがメディアはセンセーショナルに世論を煽り、自分の論理をこれでもかと押しつける。
まるで自分たちだけが正義であり、憂国の士であるかのように。
マスコミは世論を背景に、言論、表現の自由を楯に大衆に迎合するが、根底は何が如何に儲かるかという商売のサバイバルにあることは否定できない。
同じ画面を繰り返し繰り返し放映し一見、社会問題を掘り下げようとして居るかに見えるワイドショーも核心は軽く通り過ぎる。

学校なり家庭なりに問題ありと見るならば、それこそ繰り返し問題を掘り下げて政治なり社会のシステムを変える力は持っているのに。やはり視聴率競争の道具であったかと嫌気がさす。

確かに世の中は荒んでいる。アメリカも少年犯罪のエスカレートに頭を痛めている。だが、この問題を取り上げたnhkの番組を見る限りでは、それはマンハッタンのブロンクスの問題だった。アメリカの社会問題は人種差別であり、貧富の格差である。日本ではそんな問題はない。むしろごく普通の中流家庭が舞台になる。とすれば問題は異質であり、もっと深刻なのではないかと危惧する。

屁理屈はあっても哲学のない意見は単なる自己主張だ。生きる哲学を失い、人間が人間で無くなるとき人類は滅びる。政界も経済界も教育界も金融界も官僚も指導者の自我と保身の固まりで、真摯に世を憂う想いが全く消え失せている。腐敗は独裁者を生むことは歴史が実証していることなのに。

それでも歴史は繰り返す。所詮は人間のこと、なのか人間はそんな動物では無いと信じて良いのか。
嫌なことは目を瞑るのが楽だ。選挙の投票率が低いのは選ぶべき政党、人物がいないからというが、単に嫌なことに目を伏せて、成り行きを他人任せにする事に過ぎない。日本はどこに行くのだろうか。嘗ての日本の歴史の谷間には必ず命を懸けて日本を憂う憂国の志が多くいた。だが今の谷間には権力と利権の亡者と保身の事なかれ人間がうようよしているし、この事は庶民はみな、知っている。同じように根底から腐った時代が歴史上あったのだろうか。
日本は、どこへ行くのだろう。

ごきぶり日記

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