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No.301

首切り役人

02/10/24
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罪を犯したある男が首切り役人に首を刎ねられる羽目になった。
この男は最後の最後まで抵抗し、たとえ首を切り落とされても執念でお前を末代まで恨んで、祟ってやると罵った。
首切り役人は、「そう思うのなら切り落とされた首で自分の草履をくわえてみよ。それが出来たならお前の言葉を信じよう」と言った。
刎ねられた首はコロコロと転がり、男の言ったように草履をパクッとくわえた。
その形相の凄まじいこと、この世のものとも思えなかったという。周囲の人々はこの様を見て怖れおののき、これは祟りがあるに違いないと感じた。

事実その後、そんな噂が広まった。ところがこの役人はこれをせせら笑って、「そんなことがあるわけがない」と全く気にしなかった。あまりの自信に何故怖くないのかと尋ねると、「あの男は最後の怨念を草履をくわえるということに使い切った。だからもう私を恨むことは出来ないのだよ」と言ったという。
・・・と、こんな風な話があった。

管理職としての「首切り浅右衛門」が居て、日常茶飯事のように生首を切り落としていた時代とは違うにしても、現世のリストラも過酷である。
特に団塊の世代が狙われているという。この世代は昭和20年代の半ば頃の生まれに当たるから、50歳前後ということになる。子育てももう一息、一番お金の掛かる胸突き八丁かも知れない。

「経営責任」とは誰に対して責任を持つものかもう一度考える必要があると思い出した。社会に対する責任つまり社会的、経済的発展と秩序の維持に関する責任と言うことになるのだろうか。そうなると景気動向を読み違った責任まで持たなければならないことになる。

果てしない経済の発展を信じて、みんな一緒に“やれ行けそれ行け”と事業を拡大し、人を熊手で掻き集めた責任はどうなるのだろう。
バブル崩壊、深刻なデフレなどを読み切って会社の舵取りをするからこそ経営者なのだと思って来たが、どうやらそうではなさそうである。

サラリーマンが永年掛かって先輩や同僚を押し退けかき分け上り詰めた階段、昇ってから天下を見る目は既に1企業のエゴのバイアスが掛かった狭い視野になっているということかも知れない。
自分の資産と命を掛けた経営ではないから、自己保身がすべてに優先することになるのも判らないではない。

だが、生首は吠えている。御身大切に。

ごきぶり日記

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