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No.304

働き過ぎですか?

02/11/21
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古典落語の人情話「芝浜」を思い出した。
酒やばくちに身を持ち崩した魚屋が女房の諫めに改心して、ある日暗いうちから仕入れに浜へ出る。
そこで拾った大金に“俺にも運が廻ってきた”と長屋中の人を集めてどんちゃん騒ぎを始める。酔いつぶれた亭主を見て、これではならじと女房が拾った金を徹底的に「夢」にしてしまう。
改めて悔いた男がそれからは身を粉にして働く。商売は順調に伸び裕福になるという、おめでたい年末年始の演題である。

古典落語には“身を粉にして働く”“稼ぐに追いつく貧乏なし”など、とにかく遮二無二働けば幸せが来るという話が満ちており、勤勉な日本人の性格がよく表れている。今は一転して働き過ぎの日本人となり、働くことが悪のような風潮になっている。夏休みに正月休み、それに連続する三連休と休みには事欠かない。

その上に有給休暇をこなせば一体全体いつ働くのかと思うのだが・・。
狭い日本、休みが画一的だから何処へ行っても混雑する。まるで人が沸いて出る(失礼!)ように集まって来る。一家揃ってのアウトドアに水を差すようだが、男性たるもの、それで鋭気を養えて次の仕事に猛烈な気力の源となるなら、免疫力の向上ということで何もいうことはないのだが、それが疲れや心労でストレスになるなら逆効果になるだろうと心配する。

テレビを見ながら家でゴロゴロするのも女房、子どもたちの攻撃があって楽ではないだろうとこれも余計な心配をする。
とにかく仕事が趣味であり、かつゲームであると考える習性のもとではブラブラ休みは何とも苦痛で免疫力が低下する。

お前の趣味は何だ、と聞かれて「お金儲けです」と言えれば立派なものだと思う。
だいたい儲かっている人間はそういうことは言わない。儲けたいとと思っても少しも儲からない人間が考えるところに意味がある。
お金を儲けるということはそれなりの頭と労力と軍資金がいるから、遊びながら出来るものではないことは判っている。

会社の目的は利潤の追求だから何の不思議はないのだが、これまで日本人は会社という得体の知れない儲け集団に忠誠を尽くして働き過ぎたことが問題なのであって、古典落語の主人公は会社のために働く場面などまったく出て来ない。
魚屋であり、八百屋であり、乾物屋などの個人商店だから、すべてが自分のために働く人々である。

こう考えて来ると休みを増やして働かないで済むようにとご配慮頂いているのは時間で働いている人だけで、自分のために働いている人には関係ないということが判る。アメリカには「ムーンライトカンパニー」がある。文字通り“月の明かりが出て来ると始まる会社”であって、昼間はサラリーマンなどに変身する。
人間性を取り戻さなければならない。だが、生きるための戦いはますます熾烈になる。自分の為にはもっと働かなくてはならないのではないか。

「そんなに儲けてどうするの?」と言われそうだが、儲かっていないからこそ挑戦するのだから、儲かったらすべてが終わるのかも知れない。

ごきぶり日記

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