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No.321

「連呼」の憂鬱

03/05/12
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いつの間にか「統一補選」、「統一地方選」の騒音が消え去って行った。
選挙は民主主義のもっとも重要なイベントであり自分たちの住む社会の「生殺与奪の権」を握っていることは判っているのだが、あの気違いじみた「連呼」は何とも腹に据えかねることが多い。選挙のシーズンが鬱陶しくなっては民主主義も終わってしまう。

連呼ほど能がない運動は無いと思うのだが、テレビのコマーシャルよろしく、耳にタコができるまで候補者の名前を叫び続ける。何でも良い、自然に口をついてその名前が出てくるまで繰り返すということらしい。
スピーカーの音量を最大に上げ、“うぐいす”どころではない、黄色い金切り声でわめき散らす。

始めのうちは少しは良いのだが、最終日が近づくにつれて段々と気違いじみてくる。
「ご迷惑を掛けて申し訳ありません」と繰り返すが、近所迷惑と判っているのなら、すぐやめろ!と怒鳴り返したくなる。「みなさまのお力を持ちまして、不承**を議会に送り届けてくださるよう・・・」の袖すがり型のお願いから、果ては金切り声が「どうか! どうか! どうか!・・・」と今にも泣きそうな、悲壮な声を発し続ける。怒鳴りながら自己陶酔の境地に入り込んでいるのかもしれない。

連呼が許されているのは日本固有の文化だと思っている。欧米の住宅街でこんな気違いじみた怒鳴りまくりをやったら、たちまち訴えられるに違いない。
こうして、がなり立てた結果でも投票率は30数%程度だから全有権者の1/3が、よかれ悪しかれいつも意識を持って投票所に足を運び、残りの2/3は「関心ないね」「投票したいような奴はいない」とそっぽを向く。

だが、多くは後者の「投票したくてもこれぞと思う候補者がいない」というのが本音ではあるまいか。何とも恐ろしい。
政党に失望し、政治に関心が無くなる時ファッショが台頭する。下馬評から当選する可能性のほとんどない候補者でも、選ぶのが義務である。

それでも選挙に出かけるのは億劫である。電子投票というのも、今のところ投票所に足を運んで、機械操作をするわけだから、投票人本人の手間は変わらない。
指紋や目虹彩で本人認証して、自宅のパソコンから投票出来れば投票率も格段に増えるだろうし、結果も即時に判明する。
そんな電子政府が出来るのは未だ夢のうちかも知れない。

ごきぶり日記

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