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No.334

書いて自分に問いかける

04/01/26
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「書く」という行為に何回か自問自答してきました。
結論はやはり“自分に問いかけて、もう一人の自分から答えを貰うために書く”ということになります。これはどこかに同じことを述べたかもしれませんね。

言うまでもなく人間というものは弱いもので、“心が千々に乱れる”と思考は混乱し、次第に奈落の底に落ち込んで収集がつかなくなるものなのでしょうね。そんなときどこに救いを求めるのでしょう。

みのもんたの昼の人気テレビ番組に「ちょっと聞いてよ!思いっきり生テレビ」(でしたかね?)があります。「こんな話、人に聞かせる話かしら・・」と家内は嘆きますが、電話を掛けて来る人は、みのもんたやレギュラーのゲストに自分の生き方を教えて貰らい、そのように生きようなどと思っていないのかもしれません。

問題を投げかけると、みのもんたに一喝される、コメンテータがそれぞれの人生経験から、いろいろなことを言う。それを聞いているうちに、もやもやしていた自分の心が固まってゆく、そんなトリガーを求めているのでしょう。
“ちょっと聞いてよ”とは聞いて貰えれば良いのであって人の生き方、悩みの本質がそんなに簡単に判るわけがありませんから。
なんだか判らないけれど聞いていると元気が出て来るという、ビタミン剤的な効能でしょう。

「紙に向かって今の自分を赤裸々に書く」(誰が見ている訳ではないのです)書きながら、考えながら時が過ぎるうちに“それはおかしいよ。こういう考え方や見方があるのではないか?”ともう一人の自分が合いの手を入れて来ます。
そこでもう一度考え直して書き直す。そうしているうちに、誰かに相談しているように自分の考えに決着がついてゆく、つまり割り切りがついてすっきりした気分になるかもしれません。

文章というものはそんなに難しいものでは無いと思うのですが、書くということ、即、人に見られる、あるいは残るという観念があるのか、本当に思っていることを素直に表現するのはなかなか難しいものなのですね。
あとで読み返して見ると、言いたいことが欠落していたり、回りくどくなって何が言いたいのかはっきりしないとか、がっかりするものでしょう。
お話の流れ、筋、本当に言いたいこと、伝えたいことを箇条書きして、それに沿って書き続けると良いのかもしれません。

でも時には感情の高ぶりにまかせて思いの丈を書き殴るのも文章の勢いですから、下手なテクニックはやめた方が良いかもしれませんね。
話が本題から外れたようです。乱れた心を紙に叩きつけ、もう一人の自分が行間に反論を書いてくれる。そうして思考錯誤を繰り返しているうちに「やはり人生、こんなところかな?」と半ばあきらめに近い結論を出します。
かく申す筆者などはこうして自分の心に「割り切り」という引導を渡して、後は気分爽快になって(してしまって)次のことを考えます。

それが正しいかどうかは関係ありません。自分の心が導いた結論は自分の心の安泰の場ですから、それで充分ではありませんか。
その人となりの置かれた立場、苦境を誰が偉そうに指導出来るのでしょうか。出来ることは当人が結論を出すための伴奏を奏でるくらいなものでしょう。
一番頼りになるのは「もう一人の自分」です。

ごきぶり日記

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