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No.341

『さて、もう一仕事』というものの

08/01/28
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「団塊の世代」の話題で賑わっている。定年退職後になにか仕事を始めたいという人が多いという。
世の中が不安定なことと、寿命が延びて60歳くらいではまだまだ元気、第二の人生でもう一花咲かせたいというところだろうか。

“仕事を始めたい”ということは、またサラリーマンをやるということでもなさそうである。人によりけりだろうが、高い地位を経て多額の退職金を貰い、やっと解放された立場で再びサラリーマンはないと思うし、あったとしてもほんのお小遣い程度の給料になり、自尊心も保てない。

ボランティアを志す人も多いようだがそれはそれ、本当に生きている充実感、実感が得られることが必要だと思うのだが。それならやはり自分で新しい事業を始めたいということだろうと勝手に解釈している。
企業を起こす、つまり起業家になるということは時流の要請でもあり、悪くはないのだが、そう簡単にビジネスモデルが作れるわけではないし、また即時収入を得ることは容易ではない。むしろ損を覚悟で始めなければならない。

遊びながら出来る商売があればそれに越したことはないのだが、遊びと商売は両立しない。なんでなら商売は戦いであって、考え続け、戦い続け、そして立ち止まることを許さないからである。“事業とはゴールの無いマラソンである”であり、立ち止まれば倒れる。その意味からいい加減な気持ちで起業家を志すのは考え物なのだが・・。

「第2の人生」の最大の壁は自分の中にあって、永年背負ってきた社会的な地位、考え方、世の中の見方、つまり視野までが自分の意図に立ちふさがる。
なにもビジネスモデル探しが難しいと言っているのではなく、永年の生活環境から発想の拡がりが難しくなっているということで、自分で自分の思考や行動に自らタガをはめやすいということである。だから大企業経験者にベンチャービジネスは出来ないということをいつも口にしている。

世の中は複雑に出来ているから、それだけに諸々の隙間がある。だからまず自尊心や過去の栄光、選り好みを捨てて、何でも喰らいつく貪欲さが必要である。そうは言っても簡単に過去とおさらばなど出来るものではない。それならば開き直って自分が何をやって来たのか、何が得意技かを必死に見極めることしかない。
人間、なんと言っても自分が永年手掛けて来た問題には知識が集約されているから、その知識の延長線上のビジネスがもっとも分かり易く、自信が持てる。そこにヒントがあると思っているのだが。

自分がキーワードを持っているかどうかである。ある人の話で印鑑を掘る趣味を持っており、そこから「掘る」ことに関連して発想を広げているのを聞いてなるほど、と感心したことを覚えている。
事業は生き物でやるのは人間だから、うまくいって成功する確率は低く、成功してもその先に果てしない悩みが待ち受けている。

退職金をガッポリ戴き、のんびりと余生を暮らすというのが最高なのかも知れない。アメリカのある州で老人の理想郷を作り、そこで暮らして貰えばどんなに幸せで長生きして貰えるか、と行政が考え実行したところ、今でいう認知症が大量発生し、慌ててそのユートピアをやめたという話を想い出した。

人間は逆境にあって始めて生きる力を作り出し、人間らしい生き方が出来ると思っているが、それにしてもビジネスの生存競争は極めて厳しいものである。

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ごきぶり日記

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