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No.350

焼け野原から若い芽が出るような。

11/11/09
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東京大空襲、広島、長崎に原爆投下。それから間もなく終戦。思っても恐ろしい荒廃の時代であった。

学徒動員で多くの若い、貴重な命が失われたが、間もなく企業には生き残った社員が続々戻って来る。
多くは入社と同時に招集された技術者たちである。
でも大手企業といえども仕事は無い。会社には来るものの何をやったら良いかあてもない。
仕方がないので木工工場に行き、下駄を作り売れるものは売って生活の糧にした、とある。

昭和25、26年頃になると大手企業は一斉に採用に動き出した。そうなると早い、物作り復活である。
それから数年経つと工場は活気に溢れだした。
工場の一角にはアメリカRCA社のブラウン管テレビがずらりと並んでいた。
当時、完成品テレビの輸入が禁止されており、そのため未完成品として一部の組立、配線を行わずに輸入した製品である。
もう下駄を作っている暇はない。

そうした新しい時代への社員教育として全社、全工場を巡回するように実習計画が立てられた。まさに明日はいずこにという放浪の実習生活である。
ある時、我がグループはメッキ工場の前を集団で歩いていた。
若手が上司にしきりに怒鳴られているが、ちょっと目を離すとその若い人が居ない。
実は見事なアッパーカットをくらい、遙か先の方で伸びていた。
誰も関心を持たない、誰も騒がない、そんな戦時の気性の色濃く残っている時代であった。

1年間の実習が終わってやっと開発部門に配属になる。そこには鬼の軍曹、曹長が待っている。その上は将官が侍る。とは言え頼もしい先輩である。
時には将官同士で掴みかからんばかりの口論を始める。上司に怒られ、タオルを顔に当てたまま男泣きしている先輩もいる。

ここで「将官」と言ったが、学徒出陣の先輩は終戦で特別に昇進して官位が上がって除隊となる。これをポッダム将官と呼ぶ。
ポッタム宣言によって生まれた将官である。だからポッダム少尉、中尉、大尉という将官はざらに居ると言うことになる。
「俺は大尉だ。だから君より偉いんだ!」と言う稚気溢れた喧嘩にも立ち会うことになる。

だが、開発の方は熱気に溢れていた。多重化通信装置、アナログコンピュータ等々、「アメリカに追いつけ追い越せ!」の気概は強烈であった。その陰では当然犠牲者も出た。ある朝、同僚の技術者が出勤して来ない。会社の近くの下宿なので何人かが見に行くと、小さなテーブルの上に突っ伏して、手にはたばこを挟んだまま黄色く焼けただれていたという。未だ23~24歳だったと思う。
隣の駅の同業の会社でも「また屋上から飛び降り自殺者が出たそうだ」と囁かれていた、そんな時代である。

日本はバブルとその崩壊の影響を受け、企業体質が大きく変わったと言われる。
元には戻らないのだろうか。

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ごきぶり日記

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